東京高等裁判所 昭和62年(う)1150号 判決 1991年3月26日
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年二月に処する。
この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予する。
本件公訴事実中、現住建造物等放火の点については、被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人前田裕司、同升味佐江子、同中西義徳、同駒宮紀美が連名で提出した控訴趣意書及び控訴趣意補充書に記載されたとおりであり、これに対する答弁は、検察官樋口泰己が提出した答弁書に記載されたとおりであるから、これらを引用する。
所論は、昭和六一年一月一一日未明、東京都北区《番地省略》所在の甲野米店ことA方(以下、甲野米店という。)等三棟が放火と推測される原因によって焼毀したところ、原判決は右火災を被告人の放火によるものと断定したが、被告人は犯人ではなく、右火災を被告人の放火と結び付けるものは、捜査段階における被告人の自白ただ一つであるが、右被告人の自白は任意性、信用性のないものであるから、これを証拠として被告人を有罪とした原判決には判決に影響を及ぼすことの明らかな訴訟手続の法令違反及び事実誤認がある、というのである。
そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を併せて、所論に対し検討を加える。
昭和六一年一月一一日未明、原判示のように甲野米店等三棟の建物が放火と推定される原因により焼毀したこと自体は関係証拠上明白であり、問題は、これが被告人の放火によるものか否かにあるところ、右火災を被告人の放火と結び付けるものは、被告人の捜査段階における自白のみであるから、被告人を右火災の放火犯人と認め得るかどうかは、一にかかって被告人の右自白に任意性、信用性を認め得るか否かにある。
そこで、以下、被告人の自白の任意性、信用性について検討を加える。
一 被告人の自白の任意性について
原判決が判示第一の事実の証拠として挙示する関係証拠の外、被告人の原審公判廷及び当審公判廷における各供述、原審証人Bの証言、原審及び当審証人Cの各証言、当審証人D、同E、同Fの各証言並びに当審で取り調べたE及びD作成の各「被告人取調べの立会メモ」によると、被告人が捜査段階で自白した状況は、次のとおりであったと認められる。
被告人は、昭和六一年五月一日原判示第二の二の窃盗の容疑で逮捕され、以後警視庁赤羽警察署に勾留されていたが、同年六月一一日午前七時ころ、本件火災についてポリグラフ検査を受けることの承諾を求められて承諾し、警視庁本部において、当日午前九時ころから午前一〇時二五分ころまで、警視庁科学捜査研究所技官Bからポリグラフ検査を受けた。B技官は、ポリグラフ検査の結果に数点の疑問点を認めたので、被告人に対し「記録ははっきり出ている。問題点は全部担当の刑事さんにあとで話をするから、あなたもできればきちんと話をして貰いたい。」と話すとともに、捜査主任のC刑事に被告人のポリグラフ検査結果の問題点について簡単に説明した。その後、被告人は、取調室において、C刑事、F刑事から取調べを受けた。午前中の取調べにおいては、ポリグラフ検査の結果を中心に行われ、午前一二時二〇分すぎに終了した。午後の取調べは、約一時間の昼休みをはさんで、午後一時二五分ころから行われ、主として、昭和六一年一月一〇日の被告人の行動や同月一二日に刑事が聞き込みに来た時に被告人が刑事に話した内容などについて、不合理な点の追及などが行われ、被告人は、本件放火については否認を繰り返していたが、同日午後四時四〇分すぎころ、捜査官から、幼時からの恵まれない身の上や境遇に同情を示す言葉をかけられるや、泣き出し、しばらく、大声を出して泣いていたが、しばらくして後、捜査官の「うそ発見機のいうとおりか。」「あの米屋の事件の犯人は君か。」という問いに「はい、そうです。」と答えて犯行を認め、同日午後五時九分ころから犯行の大要について供述を始め、午後七時ころからの約四〇分間の夕食時間をはさんで午後八時三〇分ころまでの間に、「火をつけた事について」と題する上申書と、犯行現場に至るまでの経路や犯行現場の状況を記載した図面三葉を作成するに至ったことが認められる。なお、被告人は、取調べの開始にあたり捜査官から供述拒否権の告知を受けなかったと弁解するが、当審で取り調べたD作成の「被告人取調べの立会メモ」によると、C刑事は、第二回目に被告人を取り調べた六月一五日の取調べの開始の際、「もう一度言うけど言いたくないことは言わなくてもいいだから権利があるんだからな。」と告知している事実が認められ、この言葉からその前の第一回の取調べにあたっても供述拒否権の告知がなされていることが窺われるし、この事実と原審及び当審証人Cの各証言とを総合すれば、C刑事が取調べの開始にあたり供述拒否権の告知をしたものと認めるに十分である。ところで、前記ポリグラフ検査には、緊張最高点質問法も行われており、この方法による検査は、特定の事項に対する被験者の認識の有無を判定する目的で考案されたものであるため、その事項は、被告人が犯人でなければ知り得ない事項であることが不可欠の前提となるところ、本件での裁決質問として用いられたのは、1放火場所及び2放火場所のすぐそばに自転車があったことであるが、本件火災は被告人の住居の近くで起こったものであって、被告人は野次馬として右火事を見に行っている外、火災後に現場付近を通行して焼け跡を見たり、新聞やテレビを通じて、本件火災の報道を見聞きしているため、右裁決質問事項を知っていた可能性があって、本件ポリグラフ検査の結果は信頼性に乏しいものと言わざるをえないが、本件における被告人の取調べは、右ポリグラフ検査の結果が正確であることを前提として行われており、捜査官は、「機械に反応が出るということはうそを言っているんだ。」、「やっていないのに何で反応が出るだ。」などと言って被告人を追及したことが窺われるので、その取調べは相当でないと言わざるをえない。しかし、被告人が自白したきっかけは幼時からの恵まれない身の上や境遇に同情の言葉をかけられ泣き出したことにあったこと、被告人の弁護人あての昭和六一年一〇月二日付手紙に「俺の受けた取調べは任意性よりも誘導性の強いもので」との記載があり、被告人自身任意性の存在自体は認めていることが窺われることをも、考え合わせると、被告人の自白に任意性がないとまでは言えない。
さらに、被告人は、同年六月一二日以降においても右自白を維持し、検察官の弁解録取や裁判官の勾留質問においても犯罪事実を認めており、捜査官の取調べに対し八通の上申書・図面を書き、捜査官に対する供述調書においても、より具体的・詳細な事実関係を供述しており、この間にも捜査官の強制がなされた形跡は認められないのである。もっとも、原審証人吉田武男の証言によると、被告人は、本件放火の捜査期間中に原判示第二の窃盗事件の国選弁護人であった弁護士吉田武男と同年六月一九日、同月二四日、同年七月一日の三回面会し、その際、「自分は本件放火はやっていない。」と述べ、同弁護士からやっていないならはっきり否認するよう忠告を受けた事実があったことが認められるが、それにも拘わらずそれ以後も捜査官に対する自白を維持したことが認められる。そして、これについても被告人が捜査官に対する自白を覆そうとし捜査官において自白を維持するよう強制した事実は認められないから、同年六月一二日以後の自白についても任意性があると認められる。
結局、被告人の捜査段階における自白は全て任意性があると認められるから、これと同趣旨に出た原判決の判断は正当であり、訴訟手続の法令違反をいう論旨は理由がない。
二 被告人の自白の信用性について
原判決は、被告人の自白の信用性を裏付ける事情として、1 被告人の自白が被疑者として取調べを受けたその最初の日から開始されており、その後これを覆す機会を与えられながら捜査段階を通じて維持されているのみならず、主要な事実関係において首尾一貫していて、しかもこれが任意になされていること自体、供述内容の高度の信用性を窺わせること、さらに、その内容は、動機、被告人の行動や心情など具体的かつ詳細で内容的にも自然であるばかりか、真に体験した者でなければ語り得ないような迫真性、臨場感に富んでおり、むしろ重大な犯罪を犯したことを深く悔悟し、事実をありのままに吐露したという心情すら看取しうるところであって、その信用性は、供述それ自体から極めて高い、2 被告人は、判示放火行為の直後に甲野米店入口横の事務所のトタン戸をこじ開けて着火した洋服箱の細片を投げ入れた旨の供述をし、その際のぞき見た屋内の状況が証拠によりほぼ裏付けられているが、特筆すべき点は、トタン戸のすき間から火のついた洋服箱の細片を投げ入れた際の状況を説明するにあたり、トタン戸の外側にロープ様のものが横に張られていた旨図示説明しているところ、証人G子の供述によれば右トタン戸の外側には横に針金が張られていた事実が認められ、このような一般には見落とされがちな特徴的な事実が、被告人が進んでなした供述とよく符合するということは、被告人の自白の信用性の高さを裏付ける顕著な一事例である、3 この外いくつかの点で被告人の自白が客観的事実と整合することが確認されている、すなわち、a 動機面につき、被告人に憤懣をうっ積させ焦燥感を募らせるような事情が存したことが概ね裏付けられ、本件犯行の動機として十分了解可能である、b 被告人は、放火に着手する直前に、人通りがないかどうか確認した際、弁天通りにボディーに青い線の入ったタクシーが停車していたと述べているが、証人Kの供述等により概ねこれに符合する事実の存在したことが確認されている、c 出火現場やその付近は、道路からは見えにくく単に通りすがりに一べつしただけでは同所の様子を具体的に記憶しているとは考えられないような場所であるところ、被告人の供述するような状況は、関係証拠上認められる右現場の状況によく符合していること、d 被告人は、放火に際し現場近くの乙山ホテル北側路上のゴミ集積所にビニール製の黒いゴミ袋や紙袋が置いてあり、その中から洋服箱や布切れを持ってきて火をつける媒介物として使った旨供述するところ、証人Hの供述等により右の場所に右の供述に符合するビニール製の黒いゴミ袋が存在したことが裏付けられている、を挙げている。
所論は、原判決はこれらのうち特に2の点を重視しているものと思われるが、このような洋服箱の細片の投げ入れは不可能であり、この点はむしろ被告人の自白の信用性のなさを示すものであると主張する。
そこで、検討するに、原判決によれば、この点は昭和六一年六月一七日付の被告人の供述調書で初めて触れられたものとされており、同調書の記載も「その後、燃えた洋服箱の切れ端を店舗内に投げたような気がしますが、そのことについてはよく考えてから話します。」となっており、その時思い付いたような記載であり、被告人を取り調べた警察官である原審証人Cも、被告人がこのことに初めて触れたのは同日が初めてである旨供述していた。
しかし、当審において取り調べた証人D及びEの各証言並びに右D及びE作成の各「被告人取調べの立会メモ」によれば、右洋服箱の細片の投げ入れについては、同月一一日の一番最初の自白の段階から供述されており、同月一五日、一六日にも更に詳細な供述がなされていることが認められるのであって、C刑事においてなにゆえに前記供述調書記載のようにしたのか不審を抱かざるを得ない。
このことを一応別にするにしても、被告人が捜査段階で洋服箱の細片を投げ入れたと供述している場所が果たして原判決の認定している甲野米店の事務所部分であるかどうかには重大な疑問が存する。
当審証人Eの証言及び同人作成の「被告人取調べの立会メモ」によると、被告人は、昭和六一年六月一一日における最初の自白において、「石油のポリタンク(白色)が店の入口付近にあった。そのそばに洋服ケースで作ったたいまつ様のものを腕を入れ投げ込んだ。」と供述しており、司法警察員作成の同年一月二〇日付実況見分調書添付の現場見取図第4図及び第9図並びに被告人作成の「最後に洋服箱のきれはしをなげこんだ所の説明」と題する上申書添付の「最後に火のついた洋服箱のキレハシをなげた所」と題する図面(この図面では「トタンの戸」が地面まで続いた形に描かれている。)の外、当審で取り調べた司法警察員作成の同年七月二日付実況見分調書及び当審証人Iの証言によれば、被告人は同年六月二八日に行われた事件再現の実況見分の際トタン戸の高さを一・七メートルと指示していることなどを総合してみると、被告人が洋服箱の細片を投げ込んだ場所を甲野米店の店舗の入口として供述しているものとも考えられるところ、関係証拠によれば、甲野米店の店舗の入口はガラス戸の外側に二枚のシャッターが設けられており、被告人が前記上申書及び同月二一日付供述調書(四枚綴りのもの)において供述するような「右側の戸に右手の前腕部を押し付け、左側の戸を指を入れて手前に引っ張る」というような方法でシャッターを関披することはできず、実情に合わないので、捜査官のCらがこれを事務所の窓の雨戸と考えていたことが明らかである。原判決が捜査官と同様に、これを事務所の窓の雨戸と解したのは、甲野米店の入口は前記のようにシャッターであり、店舗の入口付近にはこれ以外に、被告人の供述に合うようなトタン戸がなかったからであると思われる(なお、関係証拠によると、同店の車庫の扉が、観音開きの二枚のトタン戸となっており、また、車庫の東側壁には引き戸となった二枚のトタン戸があるが、扉は南側道路に面しているので、放火したという場所からは火のついた洋服箱の細片を持って自動販売機の側を通り道路に出て行かねばならず、また、引戸は放火したという場所(選殻機)に接していることが明らかであるから、車庫の扉も引戸も被告人の供述には合わないのである。)。そこで、原判決のように事務所の窓の雨戸とみると、これが被告人の言うような方法で開披できるかどうかこれまたすこぶる疑問である。すなわち、原審及び当審証人G子の各証言、当審証人Aの証言、弁護士升味佐江子作成の昭和六二年二月二日付実況見分調書によると、甲野米店入口横の事務所のトタン戸は、この建物が配給公団の配給所であったころの窓口となっていたところであり、高さ一メートル位のカウンター様になっていて、このカウンターの上に設けられた窓の外側に、幅約〇・九メートル位、高さ約一・二メートル位のトタン雨戸二枚が嵌め込みとなっており、内側にかんぬきが設けられ、トタン戸は目の形に木の枠を組みその上にトタンを張り付けた構造となっている。このトタン戸の内側は、開閉する上下二段のガラス戸でその真ん中が中敷居となっている。この中敷居が存在するため、被告人が自白するような方法では右側のトタン戸が左側のトタン戸との間に左手の指を入れる程の余地ができるほどたわむことはないと認められる。また、高さ約一・二メートルにすぎない左側の戸が二〇センチメートルも二五センチメートルもたわむかどうかもまた甚だ疑問であると言わなければならない。
さらに、原判決は、このときのぞき見た屋内の状況が関係証拠によってほぼ裏付けられているとしているが、被告人のあげる白いポリタンク様のものの存在は裏付けられておらず、パイプイスのようなものについては、事務所内に椅子が存したことは認められるが、パイプイスにあたるものはなく、筒状のタンクのようなものについては、被告人の供述自体右側にあったか左側にあったかはっきりしないという程度のものであるから、被告人がこのときのぞき見た屋内の状況が関係証拠によって裏付けられているとは言えない。
なお、原審及び当審証人G子の各証言、当審証人Aの証言並びに当審で取り調べた写真四葉(検9号)などの関係証拠によれば、右事務所のトタン戸の前の地面には植木鉢やプランターがびっしりと並べられ、カウンターの上にも植木鉢が並べられていたことが認められるから、放火犯人が右トタン戸に近づくためには、この植木鉢などの間に注意深く足を踏み入れる必要があり、またトタン戸を開披できたとすれば、その際カウンター上の植木鉢が脱落したと思われるのに、被告人の自白にこのことが全く触れられていないのは不自然であると考えられる。
そうすると、被告人が本件放火の際、着火した洋服箱の細片を甲野米店の事務所のトタン戸をこじ開けて投げ入れたと解される被告人の供述は、信用できないという外はなく、右投げ入れの際トタン戸の外側にロープ様のものが横に張られていた旨の被告人の図示説明が原審証人G子の右トタン戸の外側には針金が横に張られていたとの供述により裏付けられたとし、このことが、被告人の自白の信用性の高さを裏付ける顕著な一事例であるとして、被告人の自白の信用性を認める最大の柱としたと解せられる原判決の判断は、是認することはできない。 次に、原判決が1において、被告人の自白が被疑者として取調べを受けたその最初の日から開始され、主要な事実関係において首尾一貫していて、しかもこれが任意にされていること自体、その供述内容の高度の信用性を窺わせる等としていることについて検討すると、その自白が被疑者として取調べを受けた最初の日から開始され、それが任意になされていることは、その通りであるが、それが主要な事実関係において首尾一貫していてその内容の高度の信用性を窺わせる等と言えるかどうかは、なお慎重に検討する必要がある。
被告人の自白によれば、「自分の部屋から持ってきた週刊誌の表紙三枚のうち二枚でダンボール箱に火をつけようとしたら、一〇センチメートル位炎があがったが、ダンボール箱に燃え移らないうちに表紙が燃え尽きてしまったので、ホテル乙山屋の前のゴミ置場から布切れを持ってきてこれに火をつけてダンボール箱に火をつけようとしたら布切れがくすぶっただけだった。それでまたホテル乙山屋の前のゴミ置場から洋服箱をもってきてこれを細かく破って火をつけダンボール箱に着火させた。」というのであるが、他方で被告人は、放火の場所として他人に発見されにくい所を選んだと供述しているのであるから、ゴミ置場への往復を繰り返したというのも疑問があるばかりでなく、甲野米店に対する怨恨その他の深い事情があったとは認められない被告人が甲野米店に対する放火にこのように執着したというのは、むしろ不自然である。しかも、当審で取り調べたJ作成の鑑定書及び当審証人Jの証言によれば、本件で使用されたと同じ種類のダンボール箱は本件当時と同じ気象条件の下で、ライターの炎だけで三秒間で着火することが認められるのであって、当審で取り調べた弁護士升味佐江子作成の一九九一年一月二〇日付報告書及び当審証人升味佐江子の証言をも総合すると、週刊誌の表紙二枚で着火しないとは考えにくいところである。そうすると、被告人の自白は、これらの点においても、その信用性に疑問があると言わなければならない。
さらに、被告人の自白内容が客観的事実と整合することが確認されているとしている前記3の点について検討する。
まず、3のbの点につき、被告人は、「放火に着手する直前に人通りがないことを確認するため弁天通りまで出た際、左側にある煙草屋のところから右側を見ると、バスの停留所の先にタクシーが歩道に乗り上げた恰好で駐車していた。そのタクシーはボディーに青っぽい線が横に入っていた。」と供述しているところ、原審証人Kの証言によれば、「はっきりとした記憶はないが、昭和六一年一月一一日午前四時三〇分ころ、私が借りている車庫の前の弁天通りの丙川畳店の前に停車したことがある。タクシーは歩道に乗り上げてはおらず、歩道に沿って真っ直ぐに置いた。私のタクシーは、検察事務官作成の昭和六二年二月一六日付写真撮影報告書添付の写真の車である。」というのであり、右写真によれば、Kのタクシーは白いボディーにボンネット、屋根、トランク、両サイドに青い帯線の引かれたものであることが認められるので、原判決が認定しているように被告人の供述がほぼ裏付けられているかの様であるが、被告人はタクシーが歩道上に乗り上げていたというのに対し、Kはタクシーを歩道に沿って真っ直ぐに置いたという点で異なるばかりでなく、司法警察員作成の昭和六一年一月一八日付実況見分調書添付の現場見取図その2、検察事務官作成の昭和六二年二月一六日付写真撮影報告書並びに弁護士升味佐江子作成の同月二七日付実況見分調書及び当審で取り調べた同弁護士撮影の昭和六三年四月一七日付写真二一葉によるとタクシーが歩道に平行に置かれていた場合、被告人が指示する弁天通りの煙草屋の横からは、停車したタクシーのボディーの青い線を見ることは困難であることが認められるから、右の点につき被告人の供述が客観的事実によって裏付けられたものとは言えない。
次に、3のcの点について検討すると、被告人の原審公判廷及び当審公判廷における各供述によると、被告人は、昭和五六年ころから甲野米店近くの菅沼荘に居住し、通勤の往復におおむね甲野米店前の道路を通行していたことが認められ、司法警察員作成の昭和六一年一月二〇日付実況見分調書現場見取図第9図並びにA及びL子の各司法警察員に対する供述調書添付の各見取図によれば、甲野米店前は自動販売機により死角となる方向もあるが、同米店前の道路を通行した場合同店舗前は死角とはならず、同店舗前のおおよその状況が見渡せることが認められるから、数年にわたり同道路を通行していた被告人に、その大体の状況が記憶に残っていたとしても、特に異とするに足りない。また、被告人の原審公判廷及び当審公判廷における各供述によれば、被告人は、本件火災後においても、甲野米店前の道路を通行し、同店の焼け跡で自転車やリヤカーの残骸を見る機会もあったと認められる。さらに、肥料袋や金属製の缶などは、被告人があったとしている位置が記録中に存在する他の証拠と一致していないことにも注意する必要がある。このように見てくると、3のcの点も、被告人の供述の信用性を支えるものと評価することはできない。
次に、3のdの点についてみるに、原審証人Hの証言及び同人の司法警察員に対する供述調書によると、Hは、本件火災の際現場に出動し野次馬の整理などに当たった警察官であるが、「本件火災当日午前八時五〇分ころ、パトカーの後退誘導をしていた際、乙山屋ホテル前のゴミ集積所に一般の家庭でよく使われるような黒いビニール袋が数個あったような記憶がある。袋は猫か何かがかきまわしたような感じで破れていたのを覚えている。」というのであって、被告人が布切れを取り出したという紙袋が存在したことについては必ずしもはっきりしていないし、東京都王子清掃事務所技能長M作成の回答書によると、右乙山屋ホテル前ゴミ集積所のゴミの収集日は可燃ゴミが月、水、金曜日、分別ゴミが木曜日であることが認められ、昭和六一年一月一〇日は金曜日であるから翌日の土曜日も翌々日の日曜日も可燃ゴミの収集は行われないため、金曜日の夜は一週間のうちで一番可燃ゴミの出される可能性の少ない夜であると推認されるから、この金曜日の夜に四つも五つもの可燃ゴミの黒いビニール袋が出されていたとは考えにくく、右Hの供述には全面的な信用を置き難いから、この点も被告人の自白の信用性を裏付けるものとは言えない。
次に、3のaの点については、関係証拠によれば、昭和六一年一月一〇日夜のN子とのデートが、冷たい雰囲気であったこと、被告人は腰痛のため勤め先をやめ生活費に窮し窃盗までするに至っていたことが認められるが、これらのことも、特に甲野米店に放火する動機としてはそれほど強いものではないと考えられる。
その外にも、被告人の自白には、ア 被告人が犯行に使用したライターの入手先や犯行当時着用していたとするジャンパーやズボンについての供述が、たびたび変遷していて不自然であること、イ 被告人は昭和六一年六月二三日付の「私が火をつけた場所」と題する上申書添付の図面において、腰位の高さの台にかかっていた厚手のシートはスチール製棚に似た色(ぞうげ色っぽいもの)としているが、司法警察員作成の同年一月二〇日付実況見分調書及び当審証人Eの証言によると、そのシートの色は国防色であったと認められること、ウ 原判決は、弁護人の「G子が、昭和六〇年一二月三〇日に店舗前を整理したときには、ダンボール箱の束が剥き出しで選殻機の上に置かれていたはずなのに、その存在が被告人の供述中に出てこないのは不自然である。」との指摘に対し、「Aの司法警察員に対する昭和六一年六月二一日付け供述調書によると、犯行当時には、ダンボール箱の束の上には布製シートがかぶせてあったというのであるから、被告人が、その自白の中で、選殻機の上のダンボールに言及していなくても不自然とはいえない。」としているが、Aが、G子の整理後にダンボールの上にシートをかけた等という事情が証拠上窺えないのに、店舗前を自ら整理した原審証人G子の証言を採用しないで、Aの供述調書を採用しているのは相当でないし、また、当審で取り調べた司法警察員作成の昭和六一年七月二日付実況見分調書によると、被告人は、犯行再現の実況見分において、選殻機の上にシートをかぶせ、その上にダンボールの束を置いたことになっているばかりでなく、当審で取り調べた司法警察員作成の同年一月二〇日付実況見分調書の抄本、赤羽消防署長作成の「照会について(回答)」と題する書面二通、弁護士升味佐江子作成の昭和六三年七月一四日付照会方申出書(写)、第二東京弁護士会長作成の同年八月二日付「照会申出に基づく回答の通知」と題する書面をも総合すると、弁護人が主張するようにダンボールの束が剥き出しの状態で存したことは否定し難いと思われるところ、関係証拠によれば当時本件現場はかなり明るかったと認められるから、燃えぐさを捜していた被告人がこれに気づかない筈はないと思われるのに、これについての供述がないこと、といった問題点がある。
以上のように、当審で取り調べた各証拠をも、併せて検討すると、被告人の自白には数々の問題点があり安易にその信用性を認めることはできず、被告人の自白に信用性を認め、被告人を本件放火罪の犯人と認定した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があり、破棄を免れないところ、原判決は、判示第一の現住建造物等放火罪とその余の罪とを刑法四五条前段の併合罪であるとしてこれに一個の刑を科しているので、結局原判決は全部破棄すべきである。事実誤認をいう論旨は理由がある。
三 破棄自判
よって、刑事訴訟法三八二条、三九七条一項により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に被告事件について判決する。
(罪となるべき事実)
原判決罪となるべき事実第二の一ないし四のとおりである。
(法令の適用)
被告人の判示各所為は、いずれも刑法二三五条に該当し、以上は刑法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の最も重いと認める原判示第二の一の罪の刑に法定の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年二月に処し、犯情を考慮し同法二五条一項を適用して、この裁判が確定した日から三年間右刑の執行を猶予し、原審における訴訟費用(窃盗被告事件の国選弁護人吉田武男に支給した分)は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。
(一部無罪の理由)
被告人に対する本件公訴事実中、現住建造物等放火の公訴事実の要旨は、「被告人は、N子と結婚を約束し、交際していたものの、持病の腰痛が悪化して定職を失い、同女の母親(起訴状の訂正後のもの)から結婚を反対されていたことに加え、昭和六一年一月一〇日、同女と会った際、同女の態度が冷淡であったことから、同女が心変わりしたものと邪推し、同女と別れて自宅に帰った後も悶々としていたものであるが、やがて付近の建物に放火してそのうっ積を晴らそうと決意するに至り、翌一月一一日午前四時四〇分ころ、東京都北区《番地省略》所在の甲野米店ことA方店舗前物置場内において、同店舗の戸袋に接して置かれていた選殻機上に段ボール箱、洋服箱、ぼろ布等を積み重ね、これに所携のライターで点火して火を放ち、さらに、その燃焼中の洋服箱の細片を右店舗事務所内に投げ込む等して右甲野方家屋全体に燃え移らせ、よって、右A及びその家族が現に住居に使用している木造亜鉛鋼板葺二階建車庫付店舗兼居宅(延床面積合計一四四・五四平方メートル)を全焼させた上、さらに、これに隣接する同区《番地省略》O子及びその家族が現に住居に使用している木造瓦葺二階建診療所併用住宅(延床面積一四五・八平方メートル)を全焼させ、次いで同区《番地省略》D子らが現に住居に使用している木造瓦スレート葺二階建共同住宅丁原寮(延床面積三六五平方メートル)を半焼させ、もって右三棟を焼毀したものである。」というのであるが、前記のとおりその犯罪の証明がないので、刑事訴訟法三三六条により主文末項のとおり無罪の言渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 竪山眞一 裁判官 小田健司 神作良二)